充実した休日を

時計屋で時計を買うより、服屋で時計買いたい派。そっちの方が運命的な感じしませんか?

ハーモニー

伊藤計劃さんのハーモニー聴きました。

映画は見てたんですけどね

映画見てから原作買ったんですけど

当時は何かいてるかわかんなくて

ついていけなくて読むのやめちゃったんですよね。。。

なつかしーって思いながら聞いてました。

結末の解釈不一致だなって感じです。

こうなるとやっぱり原作しか勝たんっていう

原作厨の気持ちわかる。

文章的にも機械っぽい感じだし

機械というか、HTMLというか

プログラミングっぽい感じ出してるよね

だから映像で白い箱の機械出したと思うんだけど

たぶんそうではない

哲学的ゾンビ

が一番近いと思う。

原作にあったAIみたいな感じ

感情はないんだけど、悪口いわれたら怒る

みたいな感じ

感情からの怒りじゃななくて

悪口を言われたら怒るから怒る

って感じ

悲しかったら泣くし

面白かったら笑う

自分の琴線じゃなくて

現象起因みたいな感じの感情だよね

そこを表現できなかった

そこを表現するために白い箱の映像を出したような気はする

結末だけ不一致だなと思う

映像では、ミャハの幻影を撃って終わり

原作ではミャハ本体を撃って、死体を肩に担いでコカトリスの景色を見せて

さよなら、わたし、わたしたちのたましいって言う。

その後、老人たちがウォッチミーのプログラムを書き換えて意識を書き換えて

意識のない体になって、みんなが調和されて終わる

映像ではなんでミャハを撃つかわかんなかった。

確かにラスボス感出て、いかにもラスボス!!って感じだった。

原作でも最後あたりまで映像と一緒でそこまで解釈一致だった。

最後チェチェンのミャハの意識の生まれたところにに行ってから、

トァン「あなたは世界が憎いから、みんなを殺そうとしてるんじゃないの?」

ミャハ「いいえ、私は世界を愛しているわ」

トァン「嘘よ!あなたは世界中の人たちを殺そうとしてるじゃない!」

ミャハ「そうでもしないと老人たちは最後のボタンを押さないもの」

トァン「最後のボタン??」

ミャハ「そうよ。それを押すとみんなから意識が消えるの」

ミャハ「そうなると調和の保たれた美しい世界になるの」

ミャハ「私はそれをしようとしているの。」

ミャハ「でもね、私でもそのプログラムの書き換えはできなかった。」

ミャハ「あなたのお父さんが最後まで拒んだの」

みたいなやり取りがある

どういうことかというと、意識があると意思が生まれる

意思があると自殺してしまう

思考の天秤が死んだ方が楽という死んだ方がいいという判断が出来てしまい

死んでしまうから。

でも意識がないと、その判断までいかない

ミャハはもともと意識を持たない民族だった。

その民族間で意識がなくても生活できる

この意識は気を失っているとかではなく

考えなくても勝手に体が動くようなもの

買い物もできるし、映画も見たりできる

原作では意識は会議しているようと表現されている

そのなかで色々と思考して

その中でえらばれた物事を決定すると意思となり

行動する

これが普通だけど

意識を持たないとそもそも会議する必要がない

しかもみんなとそれを共有している

つまり、あれしようかな、これもあるなと考える必要がなく

ノータイムで物事を判断出来て、それを共有出来てる状態

僕が仕事してると、周りの人は僕は○○の仕事してるな

ってわかる状態になる感じ

これをハーモニー。

調和と表現している

じゃあ、何がいけないの?

っていうと、意識がないということは個人がないというコト

社会が一つのシステムになり、こうすると決まれば

そのように勝手に動く

反発することもない

ミャハは魂をなくしたい(意識を消失させたい)

トァンの父さんは魂をなくしたくない(意識を消失させたくない)

この葛藤があった。

その結果どうなったか。

映像でもあったように、トァンの父さんは撃たれて死んだ。

原作ではミャハは復讐のためにトァンに2発胸に風穴を開けて殺した。

1発はキアンの分。もう1発は父さんの分。

そこで出てくるのが

「あなただけはその世界にはつれていってあげないわ」

っていってミャハが引き金を引くシーン。

その後、老人たちは自分が死にたくないからウォッチミーのプログラムを書き換えた

これはミャハの声の宣言であなたたちの無意識で自殺させることが出来るぞ

一週間以内に誰か殺すか、自分が死ぬか選びなさい

があったため。

無意識の自殺させるプログラムを書き換えることは意識の消失を意味する

ウォッチミーはみんなの体に入っているので取り除くことは不可能

健康状態や買い物、体系、インフラなどの情報を持っているため。

これがないと人間と認識されなくなってしまう。

そもそも取ろうと思ってとれる代物でもない

その結果、意識が消失し、自殺することは無くなった

生活が変わったわけではなく、いつも通りの日常が始まる

社会は文字通り一つのシステムになり、幸せになった

おわり

っていう話だった。


だから、ミャハとトァンのああいう掛け合いだけでも欲しかった。。。

そこから解釈不一致よ、、、