充実した休日を

時計屋で時計を買うより、服屋で時計買いたい派。そっちの方が運命的な感じしませんか?

面白いコンテンツとは

面白いコンテンツとは何ぞや

これをSEOについて調べた時考えた

これは難問だ

面白いとコンテンツと別にして考えようと思う

おそらく面白い×コンテンツ=面白いコンテンツだと思う

 

面白いとは

面白いって何だっけ?

そういえばSHIROBAKOでもやってたよなあ

こういう時は原点回帰だ!

ということで6年前まで遡った

さてはて、6年前の僕は一体何を考えてたのか

新聞をわかりやすく数行でまとめれば情報発信するのにいいのではないか?

こう考えていた。天才なのか?阿呆なのか?

だがそれは数回で頓挫していた。

当時を振り返ると、評価されていた気がする。

ああ、見てる人は見てるし。

間違いではなかったような気もする。

でも頓挫している。評価されてるにもかかわらずに。

一体なぜなのか。

答えも自分で言ったいた。

時間が間に合わないのだ。

新聞を全部まとめてたら6時間以上かかっていた

それを毎日やるのは無理だったのだ。

そして昨日の新聞を今日出すという感じにしたかったらしい。

1日遅れの新聞とは

そして今思えばほぼほぼ丸コピに近かった気がする

新聞ってめっちゃ凝縮されてるのを束にすることで新聞が出来てる

ほぼほぼ無駄がない状態

それをさらに少なくしようとしてんだから逆に伝わるか不安になるレベル

あれ?ありか?

○○で殺人事件がありました。

〇×企業がソーラーパネルに100円規模の投資

総理大臣がアメリカと外交

みたいになるんか。

いや、アリかもしれんが1記事8時間以上だから続かないでしょって話。

結局続けられるかが勝負だったんだ。

 

コンテンツとは何ぞや

そういうこと

ブログがコンテンツになっている

そうなれば情報の内容が勝負となる

そうなると、面白さとは

で書いた内容がすべてってこと

 

面白ければ何でもいいで書いてたことなんだけど

結局、見た人の数なんだと思う

100万人が見たか100人が見たかで面白さは変わると思う

面白さは不変だと思うんだけど

面白いものは面白いんだけど

なんていうかな、個展というか、スポーツの試合というか

同じ試合を

球場、スタジアムに足を運ぶ100人と

それをテレビで見る100万人って感じ

スタジアム、球場に足を運ぶ100人はそりゃもう熱狂的なファンでしょう

ミスしたり、超絶技巧のプレーが面白い、そもそも人を見に来ている人

対してテレビで見る100万人はどうか

CMの合間かもしれないし、その試合を見てる人もいる

興味すらないが、見たい番組がないから見る、その試合生で見たいが足を運べない

などなどの理由で興味もないが見る人、その試合目的の人とまちまちだ

この試合

テレビで見てる人の20万人が面白くないといったとする

そうなると、おそらくこの試合の評価は「面白くない」だ

全員が全員面白くないといってもいないにもかかわらず

評価は面白くないになってしまうのだ。

というのも、スタジアムで見た人は面白い!!とは発言してると思う

SNSに言ったりね、ここは悪かったんだけど、あそこからもり返してさ!!!

みたいに熱く語ってると思う。試合後のみに言ったり、仲間内で話したりね

この100人が100人面白いといっても20万人が面白くないといえば

この100人が正論を言っていたとしても

みんなの評価は面白くないになるのではないか?

おいおい、のこりの80万人。

テレビを見ていた80万人はどうなんだ?

というと、SNSや会話に発言しない

そりゃそうでしょ

SNSやってって15分毎に自分の行動を発信してる人ならまだしも

8:00学校行ってます

8:30授業受けてます

9:00授業だるすぎ

みたいな、そんなスマホ依存症か、、、

スマホ中毒並みに発信してるわけないよね

あと、大抵どうでもいいとか興味ないと思う

というか、その番組が面白いのか面白くないのか聞かれないと答えない

このレベルだと思う

友人の会話で昨日やってたスポーツ見た?

って聞かれれば答えるレベル

もしかしたら話題にすら上がらないかも知れない

そっちの方が可能性として高いまである

見たはいたが、面白いかどうかの判断までしていない

これがほぼほぼじゃないかと思う

100万人いれば、10万人は面白いと感じ、10万人は面白くないと感じ

80万人はどちらでもいいって感じ。

で、ここから面白いのが

先に面白くないと聞けば、その作品は面白くなくなるの法則がある

と思ってる

というのも、人間悪い方に考えがちというか、悪い方が印象に残りがちな気がする

たとえば

転校生はじめられて転校してきたかわいい子だったとする。

今日来る転校生めっちゃ可愛いらしいよ!英語もしゃべれるって!帰国子女らしい!!

といううわさが広まった状態でこの子が登場するとどうか

ぱっと見かわいい、あたりだ、では英語しゃべれて帰国子女もほんとかも!!

ってなってクラスのテンション爆上がりすると思う

では逆に、今日来る転校生悪口言いまくっていじめられて転校してきた正確クズな女らしいよとうわさが広まればどうか

多分その子が入れば、可愛いんだけど性格悪そうっていう印象に、

ああ、やっぱりね、そんな感じするわ

ってなってクラスの雰囲気冷たくなるのではないか?

これと同じことが、世の中でも起きてる気がする

だから、インフルエンサー

フォロワーの多い奴の発言で拡散されて、倍々ゲームが始まる

10万人×10万人のフォロワーが見てるこの10万人の中のフォロワーが

リツイートして、それがリツイートと倍々ゲームが始まるわけね

悪い噂の方が早く広まるよね

だって損したくないんだもん

そりゃみんな損したくないだろうけど

Z世代は特にでしょ

 

そうなれば、ブログはリツイートとかされないし

バズる確率は無い

SNSで広間める可能性はあるけども

言うなれば、ブログは店

Twitterは口コミ

みたいな感じでしょう

 

ただね、

ピクシブがない頃の絵描きさんが好きなの

わかんないと思うんだけど

その人目当てでわざわざ足を運んできてる人っていうのかな

運命力に惹かれてきてくれる人っていうのかな

なんて表現してたかな

あの人の表現好きなんだけど

ちょっとまってて

携帯サイトが主流のサイトで特に自分のサイトで更新する派が多かったようだ

だ。もうめっちゃ好き。

私のジャンルに神がいます。

もうこういう感じで個々のサイトに行くしか会えない

ネットはあって、2chみたいな書き込める掲示板はある

HPとチャットはあるけど

Twitterもないし、ニコニコもないし、ピクシブ、なろうもない

こんな感じの世界観が好き。

もう、感動のレベルが違うと思う

ポケベルから携帯になったレベルと思う

ポケベルよう知らんけど

ピクシブとかで多数の中から見つけるのも

そりゃあ運命力は必要なんだけど

そのサイトでしか見れなくて、それを見つけたの僕だけでしょ?

みたいな、独占欲の塊のようなあの優越感よ。

みんなが知らないけど、僕だけ知ってるってやつ

いまならね、TwitterやらSNSでこの人やばくないですか!!!

ってリツイートされて、バズって、ぶわああああって広がるんだけど

それが正義だし、世紀の大発明はみんなに知られるべきなんだろうけど

知る人ぞ知る隠れた名店みたいな感じじゃなくなってしまうというか

なんだろ、固定概念にとらわれてるんだろうけど

いや、自分だけのものじゃなくなってしまうのが怖いのかな

なんていうんだろう、浅くなってしまうというのか

深みがなくなってしまうというのか

言語化が難しい

コレジャナイ感というのか

かくれんぼしてる時みたいな感覚??

見つけてほしいんだけど、みんなには見つかりたくないみたいな

そういうのが僕の中にある。

だから、個人でひっそりやってられるブログは好き

見つけれる人にだけ見つかりたい

だからSNSは苦手。

でも読者というか、ある程度の人には見つかりたい

うーん、今流行りのの地雷系。。。

ふっ、めんどくせー女みたいになってる。

あ、ちがう、あれはおもしれー女かw

うーん、なんだこれは、

自分でいうのもあれだが、なんなんだこれは

でも自分の中の理想のコンテンツをなんとか言語化出来た気がするな

でもこれ、今の時代にはいかんよなあ

古い考えというか、だから伸びないのかというか

古い考えはいけないものなのか?

もうちょっと考えようかな