運命について
FGOやっててふと思ったんだけど。運命の強制力というか。運命は帰り道に似てると
思ってるんだよね。というのも決まったところに自分で向かう。信号待ちや交差点で道
がずれようと決まって自宅に戻ってくる。同じ道を行き来している人もいるだろうけど
ね。それが人生というか。信号で道がずれるたびに職業や待遇が変わる。信号待ちで時
間が過ぎる。自宅という「死」に向かう。そして死から生まれ変わり?生を受け目的地
へ行く。を繰り返す。哲学。んなわけないか。でも運命の強制力はあるとおもうんだよ
ね。自分のやるべきものになるというか。だからっていって出来ないのは向いてないか
らだって考えるのもどうかとは思うけれど。矛盾してるか。まあいいあ。ああ、あと強
制力というのは出来事に引っ張られる。というのも例えば明日事故にあうとする。知っ
ているので事故にあわないために違うルートか時間を遅らせる。または自宅にいる。そ
うしても何かしら起きて結果的に「事故にあう」と同じ状態になると思う。入院すると
かどこかけがするとかね。前の記事でも書いたけどFGOどの選択肢をえらんでも結末は
変わらないんだよね。わかる?世界を守らない選択肢はないというか強引に会話の流れ
を戻すというか。強引ってのはいいかたわるいけれど。そこが面白いところだしいいシ
ナリオだと思う。いうなれば「はい」か「Yes」みたいな選択肢。どっちを選んでもそ
っちに行くしかない。そして皆同じものを見るから、感想が同じか近いものになる。人
生も近いものがあると思うんだよね。必ず必要なものは向こうから来るというか。やら
なければならないものはあるというのか。そしてそれはまったく別のものになる?とい
うか野球選手になりたかったけど結果的にITで社長になる。というか予想もしないもの
になる可能性が高いのでは?と思います。そこに行きたくて頑張ってなったという人も
少なくないと思うのだけれど。そこは8:2の法則かな。FGOの主人公だってやりたくて
世界救ったってわけじゃないのに気が付いたら救っちゃってたみたいなかんじ。指示さ
れて動いたとしでも選択肢が「はい」か「Yes」の二択でしょう?うらやましいという
かなんというか。ああ、あと人生の最終的な選択肢は選ぶのは「自分」だということ。
当たり前だけど。ほんとに自分で選んでるか?といえばそうではないんじゃない?誰か
に決められたり、知らないうちにそうなってしまっていたり。知らないうちにそうなっ
てしまったというけれど遡れば選択肢を選んだのは自分だったり。だから「運命」のま
かせるとか運しだいと投げ出すのはどうかと思う。それを作った神はもういないだろう
し。案外転生して身近にいるかもしれない。身近にいるとしたら世界の反対側やら他の
ところに目を配るなんて事は絶対出来ないし、しないでしょう。あとあれか「運命の
人」コレ。シェイクスピアも名言残してるよね「運命とは、最もふさわしい場所へと、
貴方の魂を運ぶのだ」。運命の人がいるとすれば自分を殺してくれる人のことなのでは
いか?そうではないのだろうか。でも自殺する人の運命の人はどうなるんだろうな。あ
あ、あえないのか?自分が運命の人だった?とか。あとあれか、「運命」は後からじゃ
ないとわからない。だから今運命かどうかもわからない。虹を掴む男みたいだね。人生
みたいだ。清算は後からされる。だから今の価値はわからない。でもいまの僕にも意味
はある。だっけ?ちがうな。意味は結局後付けだから、後からじゃなきゃわからない。
だから最後の最後にわかる。でも今の自分にも意味はつけれる。今の僕に意味をつける
意味があるかどうかはわからないけどね。きっとあるんだろう。あとからわかるなら今
知らなくてもいいか。別に。。。ダメかな?